一家庭一新聞の現実の中で情報偏重を来す?

 

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2016年6月3日

安倍首相が「消費税増税先送り」を決定してから、いくつかの新聞およびメディアを見ました。

面白いことに、やはりメディアの論調は「正反対」のものが多いです。

方や「消費税増税回避は現在の経済状況を考えると好感」という論調もあり、方や「消費税増税回避は将来の債務増大を増長させる」という意見。

双方に、「海外メディアの報道は?」を出し、あたかも「世界がこのように見ている」という論調を作り上げています。

 

最近「若い世代は、新聞を取らない」と言います。

新聞拡張員も、そのような家庭に拡張するときに「インターネットでは欲しい情報だけ選択され、まんべんなく意見を取れませんし、知る世界が狭くなります」というのが常套句になっています。

またテレビで評論家も同様なことを言っています。

しかし一方で、現実世界で「一家庭に一新聞」という状況の中では、このような「情報偏重」をきたす新聞というものも大きな問題であるように感じています。

朝起きて「安倍首相の増税回避に世界が困惑」という見出しと「安倍首相の増税回避に安どの声」という見出し。

家庭に依って、見る情報がまったく違うというのは「インターネットなどの新情報網」でまんべんなく意見を取る物に比べたらよっぽど危険な感覚がします。

「新聞」という文化を否定するものではありません。

ただ見る側が、「自らの得ている情報はどのようなバックグラウンドに基づいて流れているか?」を見極めながら種々選択をしていかなければ、新聞拡張員の「知る世界が狭くなります」という言葉が、新聞の方に返ってくるのかもしれません。