田口壮選手引退

275px-so_taguchi_on_the_bases_in_june_2008昨日、元オリックス・バッファローズの田口壮選手が引退を発表しました。

42歳での引退でした。

実はこの目立たない田口壮選手ですが、アメリカにもかなりたくさんのファンがいます。

もちろんイチロー選手のような華々しい活躍によって、地元シアトルでも当然のように「地元の英雄」となっている稀な選手もいますが、田口選手がアメリカ人に愛されているところはイチロー選手とはまた違った部分です。

田口選手はイチロー選手に遅れる事1年、メジャーリーグのセントルイス・カージナルスに入団しました。

3年300万ドルで華々しく移籍したのですが、その年のキャンプで「実力不足」ゆえの2軍降格、さらにその後は3軍にも降格しました。

日本での一流選手がこのような降格をするのは本人のプライドも大胆に傷ついたでしょう。

契約の中に織り込まれた「専属通訳」が2軍や3軍の選手につくわけなどありません

通訳を解除され、自分で英語で話さなければならない状況

豪華な食事などありつけずハンバーガーしか食べれない暮らしが続くので名付けられた「ハンバーガーリーグ」と呼ばれる2軍、3軍でのアメリカ全土へのバス移動

ある日は夜中の2時頃に次の試合地に付き、そのままデーゲームというような過酷な暮しをしてきました。

ここで普通なら良い暮らしを求めて「日本に帰る」選手もいると思いますが、それも彼には許さなかったのでしょう。

その過酷な状況を2年ほど続け、1軍の怪我人が出た事を境に1軍に呼ばれます。

しかしまったく試合に出れない日々の中で、少しづつもらえるチャンスに結果を残していきます。

当時のセントルイス・カージナルスの監督はトニー・ラルーサという名将です。

この監督はレギュラー以外にも「全員野球で勝っていく」という特徴があり、要所要所で結果を残す田口選手を段々重宝するようになってきました。

3年、4年つづくとレギュラーではないものの、試合に出られる日も増え、だんだんファンに認識されさらにその「不遇の時代」もフューチャーされ、固定ファンも付き始めます。

そして2006年にセントルイス・カージナルスはワールドシリーズを制覇するのですが、その優勝決定リーグでは神懸かった活躍を見せました。

そして優勝セレモニーでは選手の中でも一番に近い拍手をもらい、トニーラルーサ監督にも「田口は『私の選手』だ」と、ファンとの取り合いを演じさせました。

頻繁に移籍が繰り返されるメジャーリーグの中で、レギュラー格でもなんでもない選手が述べ6年も同じチームにいる事は稀な事。

まったくスター選手でないにも関わらず、この浪花節のような野球人生はアメリカ人も気に行っていたようで、その後セントルイスを出る事になった時にはかなりの悲しみを表現するアメリカ人が多かったです。

まったくスター選手でなかったのにこの人気。

アメリカ人にも「浪花節」というものが通用する事を教えてくれたのが田口選手でした。

いまだに第二の自宅をセントルイスに所有し、地元ではかなり愛されているようです。

42歳は普通なら脂の乗った時期ですがスポーツ選手としては良くやった所。

これから第二の人生に期待したいと思います。