2025年12月8日
先日、あるテレビ番組の中で「子供が標語大会に出展した作品はAIで作ったものであり、子供にはAIに頼らず作品作りをしてほしい」という依頼に答えていく番組内容でした。
番組自体はバラエティ番組なので、とても面白い内容で仕上げられており、とても良い時間を過ごしましたが、その一方で「AIの進化」に驚いた部分もあります。
私自身も無料版ですがChatGptを入れてみて、少しづつ触ってみるのですが、その使い方は未だ「検索の補完」の域を出ません。
ただ、「写真制作」や「計算問題」など、既存の検索ではできない部分に使ってみてはいます。
ところで先日、実業家の孫正義さんが講演の中で言っていた事があります。
「多くの人はAIで検索しかしていない。しかしAIは本来、『相談して作り上げていくものだ』」という話です。
私自身もAIを検索の補完しか活用できていなかったので、この「相談していく」という使い方は鱗の目が落ちたような感覚でした。
先に挙げたバラエティ番組の中のお子さんは、すでにこれを「デジタルネイティブ」として自然に実践した結果なのでしょう。
相談相手は「先生」や「親」でなく、AIに向かう。
「AIの答えは、多くのネット上の意見を集約しており、先生や親に聞くより論理的で正確」という風に感じているのかもしれません。
「自分で考える力を育ててほしい」というのはとてもよく分かります。
それと同時に、このようなデジタルネイティブ世代が、親や先生を頼るようにAIに気軽に相談していったとき、どういう未来が想像できるでしょうか?
「自分で考えられない子に育つ?」という想像は勿論ですが、もしかしたら「我々が想像できない発想に向かっていく」という事もあり得るのではないか?と思います。
昔、ターミネーターという映画の中で「人工知能が感情を持ち、暴走する」という物語の流れだったと思います。
もしかしたら現在はその過度期に来ているのかもしれません。
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