オリンピックエンブレム問題に少し残念な気持ち

 

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昨日、2020年東京オリンピックのエンブレムがデザイナー佐野研二郎氏の取り下げによって、今後仕様がかかる事になりました。

今回の決定について、大きな波を作ったのは「インターネット上での指摘

今日のニュースでは「ネットの指摘は悪か?」という論調もありました。

「過度なネット上での指摘が、この結果につながった」というところから出てきた論調ですが、個人的には「盗作をしたのであれば、インターネット社会である現在では叩かれるのもやむを得ない」と思います。

では「盗作したのか、どうか?」という事ですが、先日のサントリーのトートバッグの件で「トレース」という言葉で濁しましたが、盗用を認めたこともあり、「あれは盗用だけど、これは違う」というのはなかなか受け入れがたい主張になってしまいます。

熱を帯びる、佐野氏の過去のデザインに対する「暴き」と、それに沿う形で行われる「佐野叩き」

「佐野叩き」という個人的中傷には、いかんせん同情すべきところもありますが「暴き」に関しては、この流れの中ではしょうがない流れでもあります。

「デザイナー」という職業が、一種の「アーティスト」であれば、私の知る色々な業界で活躍する「アーティスト」と呼ばれる方々の多くは「模倣を極端に好まない」という風潮があります。

逆にそれはアーティスト特有の「強いエゴ」と言えるほどのものです。

「似せて作ってくれ」と依頼しても、どこかで「自分の色」を出そうとしてきます

今回の東京オリンピックエンブレム問題では「似てるデザインができるのは、致し方ない事」という評論家もいますが、本当のアーティストは似てるデザインであれど、もし「似てる」なんて事を言われたら「とんでもない憤慨」をする強い個性を持つ人ばかりです。

「オリジナリティ」と「リスペクトの上でのオマージュ」は大きな違いがあります。

芸術の世界に入り、いきなり「オリジナリティ」を発揮する人はほとんどいないと考えています。

まれに、そのような天才もいらっしゃいますが。

多くの人は、尊敬する人や憧れの人を何度も何度もコピーをすることから始め、そこからコピーに飽き足らず、段々とオリジナリティを発揮していくものです。

音楽界の巨人作曲家、ジョンレノンとポールマッカートニーというコンビがいます。

後々にそれぞれ「イマジン」と「レットイットビー」を作曲する2人ですが、この「音楽界の大天才」であれど、いきなり最初から素晴らしい作曲家だったわけではありません。

2人の「生涯初めて完成させた曲」というのを知っていますが、それはもう「さんざんたるもの」であり、「先人の模倣の域を超えない単調なもの」でした。

しかし彼ら二人は、自分のリスペクトするミュージシャンの曲を何度も何度もコピーし、研究する事で「曲作り」というのを覚えていきました。

だんだんと「曲作り」というのに慣れてくるにしたがって、「曲作り」というのが難しいものでなくなり、そうなると曲の中にオリジナリティーを出そうとしてきますし、またごく自然に出てきてしまいます。

やがてそれが洗練され、強烈なオリジナリティーを産み、またそのオリジナリティーと大衆の欲するものとが合致して後世にも影響を与える作曲家になりました。

これはあくまで個人的な意見ですが、佐野氏のデザインをいくつか拝見しましたが「佐野氏のデザイン」に統一感がありません

あのジョンレノンであれポールマッカートニーであれ、ガウディであれピカソであれガリレオであれ、何かを生み出す人は何かしらの「色」を持っています

おそらく彼の本来のデザインは「日光江戸村のニャンまげ」や「TBSの豚キャラ」のようなアニメ調のものでしょう。

今回の東京オリンピックエンブレムなどの抽象的な物や幾何学的な物は、彼の本来のデザインからかけ離れたものであり、こういった異なったデザインが次から次に出てくるなんていう大天才の存在は、少し考えづらいところでもあります。

そういったところも、今回の指摘に繋がっているところでしょう。

世界に発信する「オリンピック」という舞台で、日本は「国立競技場問題」といい、世界に大きな恥と信用失墜をさらしてしまいました。

大変残念な結果ですが、やはり「国立競技場問題」と同様に「選考過程」にかなり「内輪的な力」が働いたようにしか思えません。

失墜した信用を取り戻すのは難しいことですが、今後は「フェア」に物事が運ばれることを望みたいと思います。

 

セグウェイが羽田空港に

 

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羽田空港でセグウェイが導入されるようです。

このセグウェイ、2001年の発表時には「人間の移動形態を変える革命的な製品」とビルゲイツやスティーブジョブズが評論したため、マスコミの報道も過熱したことを覚えています。

あれからすでに15年近く。

この画期的な乗り物は、公道走行が不可能であるにも関わらず、最近ではいろいろなところで目にするようになりました。

個人的にも、一度だけ試乗したことがありますが、その走行不思議感覚は感動を覚えるものでした。

 

ここにきて、日本を含め様々な国で類似品、もしくは同様の「自動バランス制御システム」を搭載した乗り物が出ています。

 

「セグウェイではあまりにも大きすぎる」

という人には、今後 こういった乗り物も小型化していくでしょう。

現在は公道走行が禁止ですが、やがて公道走行も可能になり、街中に「未来型乗り物」があるれている光景も、そう遠いものだとは思いません。

 

 

中国経済先行き不安による日本株下落

 

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8月24日の日経平均株価は、先週末の突然の株価下落を維持して、久々に20000円を切って市場が始まりました。

同時に円ドル相場も、124円から120円ちかくまで「円高」が進みました。

まず株価下落ですが、先日も話したように「中国経済の下落」という事が原因だと思われます。

中国バブル崩壊を白日の下にさせたくない中国政府は、ここにきてなんと「大量株保有者の半年間売却禁止」というとんでもない政策を押し出しました。

こういった方策は、日本のような民主主義自由主義経済化では起こらない事ですが、さすが社会主義国は違います。

なんとも強引な方法ですが、おかげさまでマーケットも中国政府の方針に敏感に反応。

「ここまで政府があからさまに介入しなければまずい状態なのか?」という疑念が疑念をよび、上海株の暴落から日本株の暴落につながりました。

中国経済は先日のギリシャデフォルト問題より日本直結です。

また現在の中国経済の波及ぶりを考えると、世界経済に対しても深刻な状況です。

 

中国政府はなりふり構わず「人民元の切り下げ」をし、意図的に「ドル高人民元安」に誘導し、アメリカの反発を買いながらも、輸出増加を狙っていますが、即効性はでるのだろうか?というところです。

「円高ドル安」に関しては「安心の円買い」という心理がすでに市場に根付いているようで、世界経済が困難になるほど「円」の信頼性が高まります。

そうすると輸出依存の日本のマクロ経済としては、下落です。

中小企業を中心としたミクロ経済は「円高」は歓迎なんですけどね。

 

タブレットを買いました。

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日本の自宅に、タブレット機を買いました。

今までタブレット機の必要性に懐疑的でしたが、家族がパソコンを使う情況を考えるとタブレット機で十分、また携帯性を考えるとより良い、という結論が出たからです。

仕事でのメイン期は、しっかりしたノートパソコンがありますが、今の世の中パソコンを使うのは仕事以外にも多いです。

メイン機にはそれこそオフィスソフトを始め、イラストレーターやフォトショップなど、それなりの機種でないとインストールできない重いソフトも多いため、PC自体は手放せません。

しかし、四六時中パソコンが必要なわけでなく、「より携帯性を」という事を考えて、タブレットの購入をしました。

購入したのは、レノボ社の「yoga tablet」10型です。

タブレットと言うと、やはりアップル社の「iPad」が有名ですが、携帯電話同様に分割であれば月額料金を払う必要もありますし、購入となると7万近い機種です。

7万払うくらいならパソコンを買ったほうが良いですし、月額料金を大手通信各社にはらうのもバカらしいので「SIMフリー機で3

万未満」という事で購入しました。

 

最近は7インチ機や8インチ機も多いですが、それだと現在だんだん大きくなってきている「スマートフォン」との差別化もできません、という事で10型機です。

本機は16MBのストレージしか持っていないので、写真や音楽、アプリなどを入れるとすぐにいっぱいになりますが、ここも別途32GBのSDカードが挿入できる為、ある程度カバーできます。

「アップルのシリーズ」というブランド性を考えなければ十分活躍してくれる機種です。

日本に帰るといつも思いますが、日本のスマホやタブレット市場の「アップル占有率」はかなり高いです。

中国も同様ですが。。。

 

その中で中国製のレノボですが、今のところ順調に動いているようです。

自宅のネット回線も「Wimax」のモバイルルーターですので、これなら日本中持ち歩くことができます。

「自宅にいない事が多いのに、自宅のインターネット回線を払う」や「確認してみると月平均2G未満しか使わない携帯回線に7000円近くも払いたくない」、要は「無駄なことが好きではない」という事です。

インターネット関係の料金は、スマートフォンと同様でなかなかバカになりません。

いろいろ工夫をすれば削れるところは削れて、さらに使い勝手もさほど変わりません。

 

もう少しこのタブレットで使用感を確認しようと思います。

報道は、ニュースをもっと真摯に伝えてほしい

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最近、インターネットからの情報が瞬時に分かるようになり、既存メディアである「新聞」「テレビ」の真偽性が極めて表面化しているようです。

ここ数日のニュースでも、「元博報堂(広告代理店出身)の佐野研二郎氏のデザイン登用問題」 「テレビ朝日タイ支局長の公的連絡網にわいせつ写真投稿問題」 「安保法案『強行採決』定義」などがあります。

まず「元博報堂(広告代理店出身)の佐野研二郎氏のデザイン登用問題」、当初は東京オリンピックロゴデザインの盗用疑惑で始まりましたが、その後に過去のデザインまで「出るわ出るわ」の盗用だらけ
今回の東京オリンピックロゴ選考会で彼を選考した審査員も、彼のかつての部下がいたりで決して第三者機関でもありません
先日、オリンピックメインスタジアムの白紙問題でバツをつけた印象がぬぐい切らないうちのこれです。
しかし、テレビメディアの最大のお客様である博報堂関係者である佐野氏への追及はメディアは十分果たしているでしょうか?

テレビ朝日タイ支局長の公的連絡網にわいせつ写真投稿問題」は、知って情けなくなりました。
タイでは外国メディア各社を含めたメディア各社への情報共有の為に、「公的に」LINEグループを作っていたそうで、ここにテレビ朝日タイ支局長の男性が極めて私的な「自身のわいせつ画像」を知人女性と間違えて投稿。
LINEグループに参加していた外国メディア各社から「これは公的なグループですよ」と叱責されるという恥ずかしい事件もあります。
これは自社の「報道ステーション」で、今日までまったく取り上げられてないそうです

そして各種メディアの安保法案における「強行採決」表記。
これこそがメディアによる「メディアの印象操作」に他なりません。
民主主義の基本として「多数決」があり、これを「強行採決」と言ってしまったら、すべての多数決は「強行採決」になってしまいます。
メディアの手心、また思想次第で「強行採決」「円満採決」になってしまいます。

インターネット成熟期を迎えた今だからこそわかる、既存メディアのニュースの取り上げ方。

昔は、そのまま飲み込んできたそういったニュースの本質、裏側が今はどんどん暴かれる時代です。

既存メディアには期待している国民も多いはずです。

報道に真摯に、誠実になってもらいたいものです。

 

ギリシャより中国警戒か?

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本日の日経平均株価は昨日2万円を割ったところから始まり、19500円を下回るところから始まりました。

やはりギリシャ問題が飛び火しているようで、日本も決して「対岸の火事」という訳にはいかないようですね。

おまけに「中国株の全面安」もあり、こちらの方が影響が大きいかもしれません。

比較的安全資産の「円買い」が進み、円ドルは1ドル=120円まで円高が進みました。

これで日本の輸出企業株も軒並み9時の市場が開いたところから下げ始めています。

 

せっかく日本の景気が上向いてきた中で、残念な傾向です。

 

やはり日本も含め、世界の注目は「中国」でしょう。

「とうとうバブルがはじけたか?」というような様相も呈しています。

日本のバブル時期もそうですが、実体経済がなく、「投資ではなく投機に動いている」状況であり、ギャンブル性の高い資産運用が、ここにきて中国国民が警戒し始めたのだろうと予測しています。

個人的には、中国株の下落は続くものだと警戒しています。

そうなれば「世界的な経済下落」が見えてきます。

注視しなければなりません。

 

女子サッカーは準優勝

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サッカー女子ワールドカップの決勝戦は残念ながらアメリカの勝利におわり、日本は準優勝という結果になりました。

スコアは残念ながら5対2という大差になったものの、とりあえずは決勝までたどり着いたことを称えたいです。

個人的にはあまりサッカーは見る方ではありませんが、やはり日本代表の、しかもワールドカップという舞台と言うのは、愛国心が出てきてしまいます。

これはどこの国の人も同じでしょう。

アメリカはアメフトや野球、バスケットなど他国に比べ「自国のスポーツ」が発展しており、「ワールドカップ」と名がつくスポーツへの参加は少ないような気がします。

男子サッカーしかり、ラグビーしかり。

しかしいざ出場するととても強い。

 

やはり国としてのポテンシャルがすごいんですね。

サッカーはすでにプロリーグもできているようで、デビット・ベッカム選手もロサンゼルスチームに所属していたのは有名です。

 

翻って日本ですが、ここまで強い女子サッカーはまだまだ知名度が大きくありません。

前回ワールドカップ覇者、今回は準優勝と、世界にも誇れる結果です。

ここの違いと言うのは、やはり国民性によるのかもしれません。

まだまだエンターテイメントを楽しむ風土が出来上がっていないんですね

しかしとにかく準優勝です。

とりあえずおめでとうと、お疲れ様を言いたいところです。

オウンゴールによる結末

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サッカー女子ワールドカップは前回同様、日本チームが決勝に進出、アメリカと対戦する事に決まりました。

準決勝のイングランド戦は、過去の対戦成績では日本が勝ったことのないチーム。

個人的には「勝つ見込みはないんだろうな」という過去の成績だけで考えていましたが、結果的には辛勝ながらも2大会連続の決勝進出で日本人としては嬉しい事態です。

ニュースでもあったように、今回の決勝点はイングランド選手によるオウンゴール。

最後に該当選手は泣き崩れていましたが、これは彼女だけの責任ではないでしょう。

 

やはりそこまでボールを持っていった日本チームの攻撃の結果であり、責められるべきことではありません。

 

さて今回のオウンゴール、古くは「自殺点」と呼ばれていました。

いつのまにか「オウンゴール」となったんですね。

同時に「サドンデス」という言葉も「ゴールデンゴール」となっているようで、言葉の移り変わりも面白いですね。

 

球技、特にサッカーでは「オウンゴール」という概念は多いですが、ラグビーではありません。

ラグビーでは自陣でトライをすると、相手側に得点が入る訳ではなく、自陣ゴールラインから5メートルの所で相手側ボールによる「スクラム」となります。

これも変わったルールのようです。

 

また同時に世界最高の「オウンゴール記録」として2002年のマダガスカル・サッカーリーグの試合で149点が入ったことがあるようです。

これは前の試合で不可解な反則によって優勝の目がなくなったチームが、抗議の意味も込めて試合開始と同時に自軍にゴールを入れ続けた、との事です。

オウンゴールは決して望むべきものではにものですが、こういったことも過去にはあったんですね

 

国民が政治を預けた結果、ギリシャ破綻

Left Coalition Party leader, Alexis Tsipras gestures while addressing his supporters, during party's main pre-election rally in central Athens Omonia square on May 3, 2012. The slogan reads' Turnout in Greece-message to Europe'.  Crunch elections in Greece on May 6 may not produce a government with a strong enough mandate to push through yet more austerity cuts to satisfy Athens' international creditors. Sunday's election is expected to see Greek voters, many of them fed up with grinding austerity drives, vote for parties that say they would scrap deals with the EU and IMF.  AFP PHOTO / LOUISA GOULIAMAKI        (Photo credit should read LOUISA GOULIAMAKI/AFP/GettyImages)

ギリシャの債権不履行が判明しました。

先月6月30日までの債務返還が叶わず、新たな資金導入もかなわないため、政府は民間銀行での支払い停止を指示しました。

ここにくるまで、すでに国民は「取り付け騒ぎ」をおこしており、市中の銀行には多くの国民が預金をおろしに来ました。

しかし開けてみて、株式金融市場を見てみると、意外と落ち着いている相場。

明らかに市場はこの事態を想定していたので、そこまで下がりませんでした。

それ以上に、世界を駆け巡る懸念のあった同時株安の予測を、まわりまわってギリシャ危機にそこまで影響を受けづらい「日本市場が食い止めた」という情況が見えます。

 

さて、ギリシャは7月5日に国民投票を行い、「緊縮財政策に賛成か否か」というのを問います。

緊縮財政ノーで当選したツィプラス首相は「ノーを言うように」と国民に呼びかけていますが、これは明らかに国民への責任転嫁です。

この緊急時に、ギリシャ国民は「国民に決断を投げてしまう」というとんでもない首相を選んでしまったわけです。

かといって、ここまでギリシャの財政が落ち込んだ背景には、これまでの政権での失敗が膨らんでいます。

決してツィプラス首相だけの責任ではありません。

 

日本政府も現在、1000兆円に近い債務を背負っています。

ギリシャとはいろいろなところで決定的に違うのが「日本国債権者はそのほとんどが日本人」「中央銀行が独自判断が可能」という部分があります。

この2点はとても大きな要素ですが、日本政府が多額の借金をし運営しているのは変わりません。

27年度予算を見てみると、96兆予算のうち、23兆4000億円は国債の返還になっています。

税収は54兆円ですので、4割近くが「借金返済」というわけです。

 

もちろん日本国債権者は日本国民が主ですから、「我々の世代だけで償還する必要はない」と言うのは確かですし、人口減少と共に段々と変化があるはずです。

しかし先に上げたオリンピックにおける「新国立競技場施工予算の2000億円近く」などは東京スカイツリーが4本近くたつ値段です。

このような財政出動をしている限り、我々もギリシャ国民と同様の「困窮」を今後味わうのではないかと懸念しています。

 

 

 

家電業界に見る消費行動の変化

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家電小売業界は、その大手量販店の「ヤマダ電機」の大規模店舗閉鎖で、「量販店すら生き残るのが難しい」と言われています。

一時は「家電芸人」というのがもてはやされ、日本中にみえた「家電ブーム」

大手量販店は、かつて日本で主流だった「街の家電小売店」をどんどん駆逐していきました。

 

郊外型量販店であるヤマダ電機も池袋の駅近くに店舗を構えるなど様々な戦略を施してきました。

しかし時代はあっという間にインターネットの主流時代。

日本で最安価格をネットで確認し、「クリック一つで明日配送」という時代になってきました。

 

こういった時代を迎え、消費者は「大手量販店で自分の手で品物を触ってみて、あとでネットで注文」という消費行動をおこし、最近では大手量販店はさしずめ「ネット家電業界の展覧会」のような趣になってきました。

そうなると、これまでに多くの資本を投下して大型店を築いてきた大手量販店は不利な部分も多いです。

今回のヤマダ電機のように、閉鎖ラッシュが続くのもやむを得ないでしょう。

 

街の小売店 → 大手量販店 → ネット商店

 

街の小売店を駆逐していった大手量販店が、ネット商店に駆逐されていく、本当に昨今の市場動向はシビアです。

 

しかし大手量販店も、実際のメーカーからの仕入れに関しては「片手間に家電を扱う業界より、何かしらの安価な仕入れルート」というのがあるように思えます。

現在の消費行動は現実に起こっている事ですから、今後家電量販店が手をこまねいてみているとは思えません。

この大型閉鎖ラッシュの向こう側にどのような戦略をもってくるか、注目したいと思います。

 

新国立競技場建設費用は高すぎる

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2020年東京オリンピックのスタジアム建設費用がかかりすぎるとして、現在「国」と「都」がすったもんだしているようです。

当初の建設費用が1300億円を見込んでいましたが、その後最大で3000億円まで膨らむ可能性があるとの事で、もめておりました。

ここでやぶからに3000億円とか1300億円とか言っても「何も基準がないと分かりにくい」という思いから、少し他のオリンピック会場の建設費用を調べたところ下記のようです。

  • ロンドンオリンピック 約800億円
  • リオオリンピック 約550億円
  • 北京オリンピック 約500億円
  • シドニーオリンピック 約680億円
  • アテネオリンピック 約350億円

これを見て分かるように、「最大3000億円」というのはあまりにも膨大な費用だというのがはっきりと分かります。

現在日本は円安であり、海外からの購入資材が高いとはいえ、とんでもない金額です。

明らかに「意図のある建設費用」と言わざるを得ません。

 

この費用はどこからねん出されるのか?

もちろん国民の税金であり、東京都の税金です。

 

いつも思うのですが、公的機関の「資産」というのは、その積算精度が甘すぎて話になりません。

この建設費用ですと、オリンピック期間はもちろん、その後の「会場使用費」も巨額になり、「維持修繕費用」だけでも相当な額になります。

将来にわたって採算があうのでしょうか?

現在、東京都の舛添知事が「東京都にも負担を」という国の声に対して「それは前知事が行ったことで、引き継ぎなんかしていない」という話がありましたが、正直「引継ぎをしていない人も悪い」という舛添知事への意見はありますが、それは差し置いても、強烈な金額です。

現在新たに試算しなおしているそうですが、それで縮小した費用が1000億円近く。

普通なら、ここまで縮まるような試算は、考えられませんが、こういう仕事では「まかり通る」ようです。

一般市民には身近な話題ではないですが、この建設費用を投じるのは我々の税金です。

しっかり目を見張るべき内容でしょう。

 

 

18歳以上に選挙権を与える事

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あまり大きなニュースになっていませんが「18歳以上が選挙権を持てる」というのは大きな動きだったのかもしれません。

お酒やたばこを容認できる年齢と言うのは20歳以上であり、ここで初めて「成人と選挙権のかい離」ができます。

 

個人的には18歳以上の選挙権と言うのはとても前向きで良い方針だと思います。

今現在の年齢構成で言うと、高齢者がどうしても多くなっていますが、選挙権の行使を以て国民の代表を決めていくのは「未来への投票」の度合いが大きいです。

そうなると主役であるべき若年層が、より政治に関心をもち、参加していく事は大きなことだと考えます。

 

投票権と言うのは、我々一般市民が政治に直接参加できる唯一の方法です。

 

「若者の政治離れ」と言われて久しいですが、何事も関心を持たせていく方法を大人がとっていく事も大事ではないでしょうか?

最近は「若者が大人になり切れない」と言われていますが、やはり我々大人の世代がそのような社会にしてしまったのかもしれません。

この政策で、より若い世代が政治に関心を持ってくれると良いのですが。。。

知的障害者施設での暴行事件のショッキングな映像

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先日、山口県の知的障害者施設にて「暴行」があったという内部告発を基に、そこで働いていたスタッフの一人を「暴行容疑で逮捕した」というニュースを見ました。

この事件は、逮捕前から隠しカメラの映像をテレビが頻繁に報道していたこともあり、関心を持ってみておりましたが、かなりショッキングな映像でした。

通われていた方の知的障害の程度は分かりませんが、見る限り「抵抗することが困難な通園者に対しての一方的な暴行」のように見えました。

現在、多くの家庭で「家族をどこかに預ける」という情況が出ております。

今回の知的障害者施設、また老人介護施設、病院、保育園および幼稚園、学校などです。

送りだす家族は慎重に期してその施設を選びますが、送った後は「信頼性」の元で待っているしかありません。

 

幼い子供や、知的障害者、また老人などは健康な大人にとっては「なかなか思うようにならない存在」ではあると思います。

家族故に「許され、許容できる」という存在であるのかもしれません。

毎日関わってくると、家族であったとしてもイライラしてしまう事は、全くないといったらうそになります。

ましてや、「無償の愛」を注げる家族以外の方が見るのが、上記各施設です。

 

しかし受け入れる施設は、「それをわかったうえで運営していく施設」であり、それを掲げた以上、しっかりと運営していってもらわなければいけません。

今回の騒動は、誰が見ても明らかに「暴行」

このような状況は、もしかしたら「氷山の一角」かもしれません。

しかし、今回の報道が大きかったゆえに、関連の施設でも「帯を締めた」というところも出てきたと思います。

我々送りだす家族からしてみれば、送りだした後も「家族を守るため、しっかりと動きを把握」しながら、同時に「信頼性」を築いていかないといけないと思わせた事件でした。

 

ドッジボールが暴力??

 

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さいきん「ドッジボールは暴力であり、禁止すべき」という論議があることを知りました。

「人にボールをぶつけるのは、イジメにもつながりやすい」や「暴力性が高い」などの理由だそうです。

意外と賛同する意見も多くみられ、なかなか興味深い話です。

個人的にはドッジボールで「いじめられる」という感覚を味わったことがないので、あまり想像できないのですが、やはり子供の中には「運動が苦手」という子もいるでしょう。

そういう子にとっては、たしかに「苦」のスポーツなのかもしれません。

しかし例えば「サッカーやバスケでパスを回さない」や「柔道で極端に締めあげる」など「いじめ」と結び付けたらたくさんの「ダメなスポーツ」がたくさん出てきてしまします。

ここまで「禁止にしてしまうのはどうか?」という気がしてなりません。

 

例えば子供の時の事例だけで申し訳ないですが、子供たちはそれぞれの分野で得意な部分もあるように思います。

「スポーツが得意な子」「勉強が得意な子」「絵が得意な子」「読書が好きな子」など。

昨今の異常なまでの大人の過干渉は、子供の自由意思への弊害なような気もします。

 

ただ、「こういう苦手な子もいる」と言うのを大人もしっかり理解してあげて子供に接していかなければならない、という気持ちを新たにしました。

 

 

 

 

出されたお茶を飲まないのがマナー?の論議

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最近、ネット上で「仕事上で出されたお茶を飲むのは失礼か?」という議論を見ました。

自分自身、お客様や様々な場所に出かけた際に出されたお茶を今まで頂いてきたので、「もしや?」と思いましたが、やはりこれはネット上にあふれるデマの一つのようです。

ただ、このようなマナーを聞いたことのある人も多く、「ばかげた話だ」というような事も言い切れません。

若い世代では、このような事も「常識」ととられる世代がいるのでしょう。

お茶を出す方から考えると「せっかく出したんだから、飲んでいったもらいたいなぁ」という気持ちはあります。

 

もちろん、お茶を頂くのには出された方に「お礼」と、「どうぞ」という声掛けを頂いてから、というのは当然のマナーだとは思いますが、それさえできれば堅苦しくない程度には頂くほうが良いような気がします。

と、同時に出す方も「どうぞ」との声掛けをしてあげるのが礼儀なのかもしれません。

 

言葉が生きている」のと同様に「マナーも生きている」と言わざるを得ない変化

社会の中では20代と60代が一緒に働くので、その世代間の考えの違いも大きくなっていくと思いますが、あまりに「恐縮しすぎる社会」というのも生き辛いなぁ、と思う事が多いです。